安定打座 ひとり行修安定打座

「水彩画個人レッスン」について
10 /29 2019
DSC_0716_edited-4.jpg

個展のショット一部です。

ここ数年現代美術の制作をしていません。
インスピレーションが来ないことには動きようがありません。
今までよりさらに確かなものが来る予感がしています。

安定打座ですが、芝原英司さんと一緒にするのは大変おこがましい
限りですが、芝原英司さんが言われるように「安定打座ができた
と思えるのは殆どない」と同じ思いです。
芝原英司さんは28年間1日も休まず、そして1年目から年商1千万
を1億8千万に伸ばし、28年間売り上げを続けられています。
それでも、殆ど安定打座ができていない、天風先生の言われる
安定打座はとてつもなく難しいと言われます。
ですから、兎に角次元が違う・・と思いつつ、毎朝の行修に努め
ています。
僕は毎晩ワインを1本、日本酒を1合、いやもう少し飲んでいました。
それこそ、1日も休まずに・・
しかし、この10日間1滴も飲んでいません。まだ10日間です。
それでも飲むことすら忘れています。
安定打座のおかげかもしれません。
もともとベジタリアンですが、さらに粗食になりつつあります。
早朝の境内は歩いて20分ですが、最近は走っています。

明日も4時起きの一人行修が楽しみです。
毎日その気持ちは変わりありません。
田舎の風景、川、野鳥や鴨たちが非常に愛しく感じます。
ありがたいことです。
頭山満翁が戯れる野鳥を見て、あんなカワイイ姿の鳥や
生き物を見ているとその命を食べる気なんて起きはしない。
と言葉を残しています。
カリアッパ師のゴーグ村でも捕らえたとき動くもの、鳴くものを
食べないと天風先生は言われ動物性のものは人の身体にもよくない、
と言われています。天風会にはその実行はないようです。
かなり緩い。
天風先生ご生前の修練会では手弁当で卵をはじめ動物性の食べ物は
禁止だったそうです。その話を知った時羨ましい限りでした。
天風会でベジタリアンの人にはまだお会いしていません。
幹部の人でガンで亡くなった方がいますがその方は食には関心が
なかった。かといって心が消極的ならいくらベジタリアンでもなら
なくてもイイ病気になる。

ところで、安定打座については色んな人が色んな意見と感想を持っ
1000人1000様。だから、天風先生以外はあまり読んだり聞い
たりしません。なかには為になるのもあるので一概には言えません。
打座のやり方は目を閉じたり、半眼だったり意見は様々。
僕は10年目を閉じていましたが、半眼にしてからは効果が全然違い
ます。おりんの方がブザーより効果が大きいという意見が多いよう
ですが、僕はブザーの方が向いています。
人其々ですが、打座に対する基本は天風先生の言われる無邪気に・・
そう、邪気無く・・ そして、誦句集黒最後の打座の言葉。
いつも打座の状態になれるようにはなりましたが、ブザーの途切れた
瞬間の「まっさらな心のエクスタシー」まではいきません。
これがたまらなくて、毎朝50分、1時間の打座をしています。
何度も言いますが、打座はクンバハカ、プラナヤマ法と一つです。

呼吸はしているけれど眉間から気が入り脳髄を通り、臍下丹田に気
が貯まる。そして、邪気を吐き出すと同時に身体の各部に伝わる。
打座もプラナヤマ法、クンバハカも気の眉間呼吸。
誦句集読誦も同様。


続く












安定打座50分

「水彩画個人レッスン」について
10 /24 2019
317954_286239828142048_180858849_n.jpg

Untitled Mix Media by K・T

PCに保存していた自分の作品。
何年ぶりかで見ました。仕事部屋の作品群のなかにあります。

ところで、安定打座は朝4時に起きてやるほうがよい感じです。
10年前行修会、修練会などにいくと安定打座は眼を閉じてやっていました。
誰も40分とかやる人はいないようで、せいぜい15分くらいが
当たり前のようでした。何か講師の内容のほうに重点が置かれている
印象で安定打座はつけたしのようでした。
最初は始めてなので新鮮でしたが、呼吸操練や統一式運動法、積極体操、
プラナヤマ法等を憶えると参加するのをやめました。
ベテランと言われる講師の話を含め感動がなかったからです。
これは悪口というよりも僕自身が感じただけのことです。

そして、近くの境内での一人行修に専念しました。
しかし、やはり安定打座は身をいれてやることもなく、月日は過ぎても
なんら変化がなく、中断することもしばしばでした。

しかし、今年1月の末にたった5分安定打座をしただけで、衝撃的な体験
をしました。
実は大きな問題を抱えていたのですが、2転3転と奇跡のように問題が溶け
ていき驚きました。
同時に自己統制、自己コントロールとかは言葉としてしっていたものの
それが難なくできたのです。
そして、今まで天風先生のお言葉で疑問だったものがすんなり確信として
理解できました。全て理性で解釈しようとしていた愚かさも身に沁みました。
まさに天風先生の「その手を放して俺に任せろ」が長い間でき得ていはしな
かったのです。
以来、初めて本気で安定打座について調べはじめると、これがまさに天風哲学
の最高峰のもので、安定打座抜きには天風哲学な成立しない・・と知りました。
まさにいまさら・・の話です。
目は閉じるものだとばかり思っていたのが、天風先生も「最初は目を閉じても
いいが半眼にするように」とありますし、杉山彦一先生も同じことを言われて
います。
では、何故修練会、行集会では?と僕にはわかりません。
そして、大阪代表の芝原英司先生のYou Tube の講話を見ました。感動の連続
でもう何百回みたか知れません。現在11000回の視聴を超えていて、天風関連
講話の中ではダントツです。これからもドンドン伸びていくと思いますし、
もっと先生の講話が出れば・・と望んでいます。
ともあれ、以来芝原先生に習い、先生が5時なのを4時にして芝原英司さんのよ
うに2時間に設定しました。
正直40分の安定打座には全く自身がありませんでした。集中も出来ないし、
早く40分が過ぎるように・・と情けない日が続きました。
しかし、ほどなくなんのことなく、返って短いくらいに感じるようになり、
今では30分の黒、緑の誦句集読誦後10分、15分の安定打座を加えています。
時間の長さよりも質の問題ですが、天風先生は16分を過ぎて安定打座に入って
行くものだ・・と安武先生にお話をされたとういう文があります。
天風会のなかでも安定打座30分から1時間はやりましょう・・と言われる方
がいました。
安定打座がちゃんとできないと「意志の煥発」も」「信念の煥発」もできま
せん。
芝原英司先生は少なくとも1ヵ月もたたない内に安定打座を体得されたと思い
ます。
そうでなければたった1年で利益が18倍になるような経営効果を上げられる
はずはありません。
ここでやはりまさに命をかけてやらないとこのような効果、結果は出ないのだ
・・と感じ入ります。
その意味ではまだまだ自分はそこまでの覚悟がないぞ!と自分自身に言い聞か
せています。

今日は雨、明日も一日中です。日本の災害に大きな支障をきたしています。

一昨日は天皇即位の儀が執り行われ、実況を見ていて涙が出ました。
素晴らしい天皇誕生です。
令和元年を迎え、新しい日本が世界の平和に貢献でき日本が
日本らしい素晴らしい国になるようにと望むばかりです。







安定打座とコンセプチュアルアート

「水彩画個人レッスン」について
10 /23 2019
69942891_10214619515670287_5906133043399098368_n.jpg
続いてもマルセル・ディシャン

現代美術の父とか色々言われ、ディシャンにより美術・芸術が大きく変化
した。純化という変化で進化と言ったほうが正確だと思う。
このディシャン、今だ謎が多くどの評論家も専門家も的確な答えが出せない。
研究者は世界に沢山いるが不可解、解釈不能の芸術家。
ディシャンに限らず、ウォルター・デ・マリア、ソル・ルイット、マーク・ロスコ
オン・カワラなど沢山の近代芸術家は不可解でありながら強烈な存在を放っています。

緑色の誦句集のなかに神人瞑合の誦句がありますが、それがその答。
理性や理知では彼等の作品も生き方も理解はできない。
彼等が多くを語らなかったのは語りたくても語れない世界であるからに他ならない。
丁度、安定打座がどういうものか語れないのと同じ。

ところで、最近は朝4時に起きると満点の星に明るいお月さんが出て
嬉しくなります。
ここは山に囲まれた田舎なので空気がおいしくプラナヤマ法で空気と
気を入れ替えます。
プラナヤマ法ですが、眉間で気をいれてる感じがします。それは歩いていても
気がつくとそうなってるみたい。
本当のところはわかりませんが口で空気を吸っていても眉間からスーと
入っている感じが強い。これは最近気がついたことですが、あまりこだわっては
いません。いまのところ今年に入り1日も欠かさず朝2時間の一人行修を
続けています。

そして、3日前から毎晩欠かさず飲んでいたワイン、日本酒をやめました。
ふとやめてみよう・・とおもっただけで別に禁断症状があるわけでもなく
平気にやめています。
食べるものも出来るだけ粗食に切り替えました。
若いころからベジタリアンなのですがやはり粗食が一番です。
天風先生の尊敬していた頭山満翁は小さいころから生き物を食べない方・・
と本の中にあり「やはり」と感じいりました。
天風先生がカリアッパ師に学んだ食事は
「捕らえた時動かないもの泣かないものを食せよ」です。

翁は天風先生を知って以来、ずっと気になっていました。多くを語らない翁
ですが、
「一人でいても淋しくない人間になれ」
「いつも真ん中を歩け」
「自然とともに生きよ」
など簡単な言葉ですが、すべてズシンと心に残るものがありました。
言葉というものは多くを語るよりも一言で済む話だと思います。
こんなに文をつずる必要もないのでは?と時々思います。

最初の言葉は「大宇宙霊とともにあれば淋しくはない」
次は「本心良心にのっとり生きよ」
3つ目は大「宇宙霊とともに生きよ」

今読んでいるのは「頭山満伝」という厚い著書です。著者の方は
最初の言葉の解釈が少し違います。
頭山満翁のことを知りたかったのですが、ずっとこれという
本には出合えず10年の月日が経ちました。

いつも安定打座の状態にある・・と前回書きましたが、全部と言わず
そんな感じです。眉間に意識をもっていくとそうなります。
これも深さに違いがありますからこだわっていません。
いつも思うのですがクンバハカとプラナヤマ法と安定打座はひとつの
ように思います。だれもそんなことは言っていませんが・・

打座の効果ですが、やはり自己統御がすんなり刹那に行われているよ
うで心持ちはなにをしても充実感があり、透明です。
刹那なにを見、何かゴミを拾うにしろそんな小さな行為が自分の持つ
目標に向かっているという確信と歓びといか情味があります。
積極体操などを行う木々に囲まれた高台にある境内を往復するのに
30分かかります。その間の風景は山々や田んぼ、畑、農家、川
沢山の種類の鳥たちなどとても情味に溢れています。

打座の効果ですが酒をやめたり粗食にしたり・・と
何気なく行われます。
そして、心の転換、切り替えもごく自然にサッ!とできます。
安定打座のおかげだと思っています。
しかし、焦るわけでもなく満足ということができなくまだまだです。
当然のことです。クンバハカなんて出来ているとは思いません。
野生の虎の檻に入ればすぐにやられるでしょう。
天風先生、頭山満翁は大丈夫です。目標はやる以上そこに設定しな
いとやってる意味がありません。

ともあれ、長くなりましたが、
何にしても4時に起きるのがやはり楽しみです。最近は大切な睡眠時間が短く
なっていますが、それも気になりません。
本当に寝たいときは寝るでしょう。
水、食事とともに睡眠は大切です。











長くなるのでまたにします。

芸実家と「もう一人の自分」と安定打座

「水彩画個人レッスン」について
09 /09 2019
10516801_10152627082653447_5937679501728509320_n.jpg

Marcel Duchamp

現代美術と言われています。以下書くと長くなるので、
やはり以下、Wikさんです。
こういう芸術家は「霊性の発現」を現実化しています。
Sol Lewitt,De・Maria,On Kawara・・・しかり
人類の進化、宇宙の進化と向上に貢献している方々です。

心が心おもわず

心が身体おもわず

もう一人の自分と実在する

打座をはじめると瞬間ある一点で身体が定着する

以来40分間身体は微動だにしない

舌の先は口の中のうえに軽くあてる

そうすると唾液は自然に流れる

十牛図のごとく「もう一人の自分」が我執という心を統御する

パウル・クレーぼ素晴らしい芸術作品「美しき庭師」のごとく

かくして心の庭は雑草で荒れ放題でなく心鏡止水

さすれば霊性の発現が自ずと実現する

安定打座ここにあり


マルセル・ディシャン概論

デュシャンはニューヨーク・ダダの中心的人物と見なされ、20世紀の美術に最も影響を与えた作家の一人と言われる。コンセプチュアル・アートオプ・アートなど現代美術の先駆けとも見なされる作品を手がけた。

デュシャンが他の巨匠たちと異なるのは、30歳代半ば以降の後半生にはほとんど作品らしい作品を残していないことである。彼が没したのは1968年だが、「絵画」らしい作品を描いていたのは1912年頃までで、以降は油絵を放棄した。油絵を放棄した後、「レディ・メイド」と称する既製品(または既製品に少し手を加えたもの)による作品を散発的に発表した。1917年、「ニューヨーク・アンデパンダン展」における『噴水(泉(男子用小便器に「リチャード・マット (R. Mutt)」という署名をした作品))』が物議を醸した。その後、『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも』という通称「大ガラス」と呼ばれるガラスを支持体とした作品の制作を未完のまま1923年に放棄し、ほとんど「芸術家」らしい仕事をせずチェスに没頭していた。なお、チェスはセミプロとも言うべき腕前だった。

彼のこうした姿勢の根底には、芸術そのものへの懐疑があり、晩年の1966年、ピエール・カバンヌによるインタビュー[2]の中でデュシャンは、クールベ以降絵画は「網膜的になった」と批判しており、「観念としての芸術」という考えを述べている[3]

「芸術を捨てた芸術家」として生前より神話化される傾向のあったデュシャンに批判的な声(ヨーゼフ・ボイスによる「デュシャンの沈黙は過大評価されている」など)もあったが、死後、ひそかに制作されていた遺作(『(1)落下する水、(2)照明用ガス、が与えられたとせよ』)が発表され、周囲を驚かせた。 墓碑銘に刻まれた「死ぬのはいつも他人ばかり」という言葉も有名。

生涯

初期[編集]

1887年、ノルマンディー地方セーヌ=マリティーム県ブランヴィル=クレヴォンの裕福な家庭に生まれる。父は公証人。マルセルは7人兄弟の3男であった。兄のガストンとレーモンはともにマルセルより10歳以上年長で、それぞれジャック・ヴィヨン、レーモン・デュシャン=ヴィヨンの名で、美術家として知られている。他に姉が1人(早世)と妹3人がおり、すぐ下の妹シュザンヌはデュシャンのモデル及び協力者として知られている。

マルセルは兄らの影響で少年時代から絵を描き始める。高校を卒業後、1904年、パリに出てピュトー派の兄らと合流。兵役終了後、アカデミー・ジュリアンで絵画を学んだ。初期には印象派フォーヴィスム風の作品や、『階段を降りる裸体』(1911年1912年1916年制作の3バージョン)のようなキュビスム未来派の影響を受けた絵画作品もある。

1911年、連続写真を思わせる『汽車の中の悲しげな青年』を制作。この年、フランシス・ピカビアと知り合い、影響を受ける。翌1912年、出世作『階段を降りる裸体No.2』、『花嫁』などを描く。しかし、所属していたキュビスムを研究するグループの保守的な批判(『裸体は階段を降りるものではない』と題名の変更を求められた)に憤慨し、グループ展に出品していた作品を取り下げる。この1912年に油絵を複数制作後、油絵をほとんど放棄する。

1913年2月-3月、ニューヨークアーモリー・ショー(アメリカにおけるヨーロッパ現代美術の最初の大規模な展覧会)では仲間からは批判を受けた『階段を降りる裸体No.2』を含む4点が展示された。それは、ヨーロッパの最新の芸術が輸入されてきたと(若干の誤解を伴って)スキャンダラスな話題を呼び、「屋根瓦工場の爆発」などと新聞で揶揄され、アメリカにおけるデュシャンの名を大きく広め、ニューヨークに移り住む大きな足がかりとなった。後半生にほとんど絵画作品を手掛けなかったデュシャンが有名であるのは、この『階段を降りる裸体No.2』によるところが大きい。

渡米以後

第一次世界大戦中の1915年に渡米し、ニューヨークにアトリエを構える。1919年、いったんフランスへ帰国。以後はアメリカとフランスを行き来しつつ、おもにアメリカで活動する。アメリカにはルイーズ&ウォルター・アレンスバーグ夫妻という、デュシャンのパトロンとなる人物がいた。以後のデュシャンの主要作品はほとんどがアレンスバーグ夫妻のコレクションとなり、フィラデルフィア美術館に寄贈されて一括展示されている。また、コレクターのキャサリン・ドライヤー、美術家・写真家のマン・レイとも親交を結んでいる。

1915年に制作が始められ、1923年に未完のまま放棄された、通称『大ガラス』は、デュシャンの仕事を語る上で欠かすことができない。これは、高さ約2.7メートルの2枚の透明ガラスの間に、油彩、鉛の箔、場所によっては「ほこり」で色付けをした作品である(マン・レイは大ガラスを撮った「埃の培養」という作品を残している)。上部の「花嫁」の領域と下部の「独身者」の領域に分けられるが、この作品の構想や各部分の表す意味については、難解で哲学的なメモ類(『グリーンボックス』など)が残っており、これらを分析することでデュシャンでなくとも「大ガラス」を再制作することが可能である(東京大学に瀧口修造、東野芳明監修のもと再制作された『大ガラス』があるほか、リチャード・ハミルトンによって作成されたロンドンバージョン、ウルフ・リンデによるストックホルムバージョンが存在する)。そのため、「ガラス」と「メモ」の両方を合わせたものが一つの「作品」であると考えられている。作者自身はこの作品について晩年のインタビューで「美学的に鑑賞されるものではなく、『メモ』と一緒に見るべきものである」「『美学の放棄』ということ以外には特別の考えなく作ったものだ」と言明している[4]。なお、オリジナルの大ガラスにはひびが入っているが、このひび割れは意図的に入れたものではなく、1926年に輸送中の取り扱い不備により偶然生じたものだった。デュシャンは意図しない「偶然」によって、作品に新たな要素が付け加えられたことを喜んだ[5]

先述のように大ガラス以降、デュシャンは自らの作品をつくることに興味を喪失したかのようであったが、『トランクの中の箱(デュシャンのそれまでの作品をミニチュアのように一つのトランクに収めたもの)』などそれまでの作品のミニチュアコレクションとも言うべきものを作成したり、マン・レイ、キャサリン・ドライヤーとソシエテ・アノニム(株式会社という意味)を運営し、芸術作品の目利きをつとめるなどした。また、ダダやシュルレアリスムの展覧会にも展示会場のデザインなどで、散発的に協力しており、活動の中心を担うことはしないものの、常に周辺にいて、存在感を発揮した。

レディ・メイドと『泉』

早い時期に油絵を放棄したデュシャンは、既成の物をそのまま、あるいは若干手を加えただけのものをオブジェとして提示した「レディ・メイド」を数多く発表した。1913年制作の『自転車の車輪』が、最初のレディ・メイドといわれている。レディ・メイドのタイトルの多くは、ユーモアやアイロニーを交えた地口や語呂合わせで成り立っており、一つだけの意味を成り立たせないように周到に練られている。デュシャンは、レディ・メイドについて明確な定義が自分でもできないと語っていた。


アルフレッド・スティーグリッツによって撮影された写真の一枚である。

なかでも、普通の男子用小便器に「リチャード・マット (R. Mutt[6])」という署名をし、『』というタイトルを付けた作品(1917年制作[7])は、物議をかもした。この作品は、デュシャン自身が展示委員をしていたニューヨーク・アンデパンダン展[8]に匿名で出品されたものの、委員会の議論の末、展示されることはなかった。後年、デュシャンは「展示が拒否されたのではなく、作品は展覧会の間じゅう仕切り壁の背後に置かれていて、自分も作品がどこにあるか知らなかった」とインタビューに応えている[9]。デュシャンは自分が出品者であることを伏せたまま、展示委員の立場から抗議の評論文を新聞に発表し、委員を辞任した。最終的にはこの作品は紛失した(展示に反対した委員が意図的に破棄したのではないかと考えられている)。

後日、自身が編集に携わった雑誌「THE BLINDMAN」においてデュシャンは、アルフレッド・スティーグリッツが撮った『泉』の写真も含めて以下の様に言及している。

マット氏が自分の手で『泉』を制作したかどうかは重要ではない。彼はそれを選んだのだ。彼は日用品を選び、それを新しい主題と観点のもと、その有用性が消失するようにした。そのオブジェについての新しい思考を創造したのだ

これは、レディ・メイドに関するデュシャンの考え方の一端を表しているとも考えられる。

こうしたエピソードはいかにデュシャンが、美術の枠を外そうとし、また拒否反応があったかという点を示しているとも言えるが、抗議文の発表など手際の良さも目立ち、予めこの事がおこるのを予期していたとも考えられ、「みるものが芸術をつくる」というデュシャンの考え方を端的に示した一流のパフォーマンスとも言える。デュシャンはこの後、ほとんど作品を制作発表しなくなる。

件の『泉』を含むレディ・メイド作品の多くはオリジナルは紛失している。『泉』は、スティーグリッツによって撮られた一枚の写真を残して紛失しており、現在目にすることのできるのは写真か複製に限られている。しかし、30年後にデュシャンに傾倒する若者が、別の市販の便器の展示許可を本人から得て話題となった。デュシャンが芸術は受け継がれていくものだと考え承諾し、「R. Mutt」のサインを入れた。現在、芸術としての公式の便器が数百点に上る。

『泉』は2004年12月、世界の芸術をリードする500人に最もインパクトのある現代芸術の作品を5点選んでもらうという調査の結果、パブロ・ピカソの名作『アヴィニョンの娘たち』を抑えて堂々の1位を獲得した(ターナー賞のスポンサーとジンの製造会社が実施)。『泉』の発表後、20世紀の多くの芸術家は「デュシャン以降、何が制作できるのか」という問いに直面しており、それに応えた作品が多く生まれている。

なお、『泉』という日本語題名については、誤訳であり、『噴水』と訳すべきであったという説もある。それは、レディ・メイドという性格上、泉という自然のものではなく人工のものとして扱うべきであるというのが理由である。また、デュシャンのエロティシズムに対する態度から決して性的なモノを拒否していたとは思われないというのがもうひとつの理由である。もしこの作品を邦題『噴水』として受容鑑賞するならば、その噴水のノズルは何か? それはこのオブジェの前に在ってしかるべき男性器であり、すなわち作品名からしてダブルミーニングではないか、というのが誤訳説である[要出典]

「噴水」とすべきという点については、別の主張もある。 デュシャンの「泉」に使われた便器は配管して水を流した場合、水が噴水のように上に噴出する[10]。そこからこの作品の題名がFountain=噴水、と名づけられたという説である。
参考:drinking fountain=噴水式水飲み場【略】DF、あるいはwater fountain=噴水式水飲み器という表現もある。

『泉』という日本語のタイトルがつけられていることから、この作品にはアングルの代表作『』となんらかの関係があると考え、この二つを結びつけて論じる人たちがいるが、デュシャンの『泉』の原題はFontaine(英語ではFountain)で、アングルの『泉』の原題La Sourceとは異なる。この2つは類義語ではあるが、日本人以外でこの二つの作品の関係を論じる人はいないようである。

2006年、パリのポンピドゥー・センターの企画展ギャラリーで行われた「ダダ展」で、従来よりポンピドゥー・センター内の国立近代美術館で普段はガラスケース内に展示されていた『泉』が、この企画展に移されケース無しで展示されていた。企画展終了の数日前、一人の男がこの『泉』をハンマーでたたき、国立近現代美術館所有の『泉』は破損した。警察発表によればこの男は「自分のやった事は芸術的パフォーマンスであり、デュシャンも理・・・




安生打座

「水彩画個人レッスン」について
09 /04 2019
62342315_2298595480175840_3387697021413490688_n.jpg

朝4時起き、一人行修は続いています

最近、打座に小さな変化があります

以来、黒の誦句集、最後ページの打座5行のことが少し体感できました

実際にはわかりませんが

どこでも安生打座が このことか? と感じ入っています

しかし、やはりこれもまたほんの入り口に過ぎません

そのことだけは確かな事実です


続く

K.T